全国のコミュニティカフェの代表者をオンラインのトークゲストに迎えてお話を伺い、参加者もゲストもお互いに学び合う「コミュニティカフェをめぐる旅」。

4回目となった今回は、横浜市港南区の「港南台タウンカフェ」に向かいます。

実はこの港南台タウンカフェは、今回の旅を企画した株式会社イータウンの斉藤保さんたちが16年前に始めたコミュニティカフェなのです。

まだ社会にコミュニティカフェやソーシャルビジネスといった概念がなかった時代から、地道に活動してきました。

現在はコミュニティカフェの先駆的存在としてさまざまな形で紹介される港南台タウンカフェは、どのようにして現在まで駆け抜けてきたのでしょうか。

今回は、宇都宮大学准教授でまちづくりフォーラム港南運営委員の石井大一朗さんを旅のナビゲーター、港南台タウンカフェ代表および株式会社イータウン代表取締役の斉藤保さんをゲストに迎えてお送りします。

■引っ越してきたまちでまちづくり

「短い時間で、何を伝えるか難しい」というところから、斉藤さんのお話は始まりました。

斉藤さんは富山県福野町(現:南砺市)で生まれ育ったそうです。

世帯数が少ない集落で生まれ、共同体組織が根強く残る場所だったのだとか。

お母さまを亡くされた時にも、地域の支えが非常に強かったと振り返りました。

2000年、横浜で働いていた斉藤さん。

都市部の生活になかなか馴染めず、自分の居場所があまりありませんでした。

当時小さかった娘たちのために、これでいいのかと考えたそうです。

そこで活動に共感した会社の同僚と一緒になって、インターネット上に「まちの掲示板」を開設。

まちの情報をやりとりするようになりました。

現在、港南台タウンカフェの運営を一緒に行っている、まちづくりフォーラム港南の勉強会に参加したことをきっかけに、さらに地域づくりに深く関わるようになった斉藤さん。

まちの「交流交差点」のような場所が作れないか、とみんなで考えるようになります。

ミーティングや実験を重ね、2005年に港南台タウンカフェをオープンさせました。

現在は横浜コミュニティカフェネットワーク(横浜市内のコミュニティカフェ同士の団体)の代表やくらしまちづくりネットワーク横浜(東日本大震災の復興支援を行う団体)の共同代表、鹿島田デイズ幹事も務めています。

ここから、斉藤さんのプレゼンは港南台タウンカフェの基本につながっていきました。

 

■カフェからはじまる、おもしろまちづくり

「タウンカフェは交流交差点」。

この「交流交差点」という言葉がタウンカフェの原点なのだと、斉藤さんは語りました。

まず見せていただいたのは、タウンカフェの内装写真。

木材をふんだんに使った落ち着いた空間に、ハンドメイド作品の棚がびっしり並んでいます。

決して圧迫感はなく、開放感も感じる空間です。

港南台タウンカフェのある港南台地区は、横浜市の南部にあります。

もともと谷戸だった地域を1970年代に開拓し、新興住宅地として完成したまちです。

現在はJR根岸線が通る港南台駅を中心とした、静かな住宅街になっています。

港南台駅から徒歩2分ほどのところにある港南台タウンカフェでは、22坪の空間からさまざまなことに挑戦しているのだとか。

カフェ機能としては、通常のカフェとあまり変わりありません。

しかし、港南台タウンカフェには通常のカフェにはないものがたくさんあります。

たとえば、先ほどお伝えしたハンドメイド作品の棚。

これらは「小箱ショップ」と呼ばれていて、ハンドメイド作家さんたちにブースをレンタルして、作品を展示販売してもらえる空間です。

これだけではなく、ギャラリー機能やまちの情報誌『ふ〜のん』の発行、交流飲み会やキャンドルナイトの開催といったイベントが目白押し。

「楽しそうだな、参加してみたいな」と思えるイベントがたくさんありました。

斉藤さんのお話は、運営スタッフやボランティアのお話に移っていきます。

ボランティアの皆さんの写真を見ると、老若男女さまざまな人々が関わっている様子。

スタッフとボランティアの内訳は、有償スタッフ(非常勤)が6名、ボランティアが10〜25人(変動あり)とのことでした。

これ以外にも、キャンドルナイトの参加者や『ふ〜のん』の編集を手伝ってくれる方など40〜70人前後運営に関わっているそうです。

本当にたくさんの方が、なんらかの形で港南台タウンカフェに携わっているのですね。

それだけたくさんの方が関わっているタウンカフェですが、斉藤さんが全員をまとめ上げているわけではありません。

タウンカフェでは、それぞれができる範囲で、好きなことをやっていくスタンスが徹底されています。

イベントごとに参加することはできても、毎日タウンカフェにやってくることは難しいですよね。
そんな方々とうまく調整しながら、補助金の申請といった事務手続きは有償スタッフが担っています。

ボランティアの方ができないことをスタッフがやっていく、という形になっているのです。


斉藤さんは、タウンカフェが持つ機能を4つに分類しました。

居場所機能、つながり機能、地域とのかかわり、まちのコーディネートの4つです。

居場所がない人のための場所になっていく過程で人同士のつながりができ、自然と地域とのかかわりができて、気づいたらまちのコーディネーターのようになっている。

タウンカフェが目指しているのは、そんな場所なのかもしれません。

不思議なほどまったりと長くいられる空間であり、気づいたら隣の人と世間話が始まるのです。

通常のカフェでは怪しまれてしまうことが、タウンカフェではなぜかできてしまいます。

交流飲み会やまちサロンと呼ばれるイベント、小箱ショップ作家との交流で人とつながり、地域にどんどん出かけていく。

一人の何気ない一言が、タウンカフェの重要なイベントになっている事例も多数ありました。

地域に眠る隠れたまちのキーマンを掘り起こし、イベントに誘うことも欠かしません。

行政との協働活動も行なっています。

多くの機能を持ちながら、楽しむことを忘れない。

タウンカフェは、そんな場所なのかなと感じました。

 

■旅のナビゲーターとのトークセッション

斉藤さんの説明が終わり、旅はナビゲーターである石井さんとのトークセッションに移りました。

石井大一朗さん(以下、石井さん)
タウンカフェはさまざまな活動を行なっていますが、たくさんの人と関わるといろんな人がいますよね。ソリが合わない人との付き合い方や、人間関係のトラブルがあったときの対処法があれば聞きたいです。

斉藤保さん(以下、斉藤さん)
この辺はねー、岡野さんの方が得意ではないかなぁ。

斉藤さんの無茶振りを受けて、岡野富茂子さんをトークセッションに巻き込みました。

岡野富茂子さん(以下、岡野さん)
スタッフが気をつけていることだと思うんですけど、その人の特性を無意識に探って、適材適所で発揮してもらうようにしています。ルール作りも人によって柔軟に対応したり、人同士の相性を見て役割分担を変えたり。取り立ててスタッフ間で話すこともないですが、配慮は欠かさないようにしている気がします。

斉藤さん
多分、岡野さんがおっしゃっていることはボランティアコーディネーターの仕事なんですよね。僕も昔YMCAに勤めていて、学生ボランティアたちをまとめて子どもたちと触れ合ってきたので、体感的にその辺は身についているのかもしれません。節目ごとに発行している冊子や書籍を見て気づいたことがあって。今やっているイベントや事業の礎が、3〜4年でほぼ出来上がっているんですよ。当時はスタッフ会議もせず、商店会長との確認もままならなくて…かなり自由にやらせてもらっていたんだろうと思います。

石井さん
最初の3〜4年で、かなり勢いがあったようですね。短期間でイベントや運営の基礎を固められたのには、どんな要因があったと思われますか。

斉藤さん
不思議と人が集まってきましたね。なぜかはわからないけど(笑)タウンカフェができる4〜5年ほど前にまちづくりフォーラム港南で交流交差点を作ろうと旗揚げして、20〜30人くらいの人が賛同してくれて。一定数の需要があり、かつ新しいことへの挑戦にポジティブな人が多かったのかもしれませんね。ただ、交流交差点を作ろうと言い始めたのは上大岡で、実際に作ったのは港南台です。だから、そのときの賛同者がごっそり港南台にも参加してくれたわけではありません。港南台でやろうと決めたときの…多分7〜8割は、新しい賛同者でしたね。社協との縁で高校生とつながれたり、小箱ショップの方にボランティアしていただいたり。始めてみると、とんでもない人がどんどんかかわってくれるようになりました。

石井さん
新川崎タウンカフェの岩川さんもいらっしゃいますね。岩川さんもコーディネート機能を担っていますよね。斉藤さんも岩川さんも、その人の特徴を見極めてうまくかかわってもらえる工夫をしているように感じます。

岩川舞さん(以下、岩川さん)
私は新川崎タウンカフェの店長になって5年目です。ボランティアさんとの関わり方は最初の2年くらい、とても悩んでいました。全く畑違いの業種から来たので、効率重視でバッサリ切ることに慣れてしまっていて。斉藤さんから「プロセスの部分を大切にして、一緒に育っていってほしい」と言われて、今まで重要に見てこなかった部分を大事にしろと言われたのはカルチャーショックでしたね。

石井さん
効率的な考え方という点でいくと、たとえば収益で「こうした方がもっと稼げるよね」という考えもあると思います。プロセスと効率のバランスや、収益についてお教えいただける範囲で伺いたいです。

斉藤さん
最初に話した3年間は、四六時中タウンカフェのことをしていた気がします。僕もエプロン着て6〜7時間店頭に立って、クローズしてからパソコン開いて、デザインの仕事を日付が変わるまでやって。苦痛でないばかりか、楽しかったですよ。土曜になればテント村(フリーマーケットイベント)があって、大学生たちと朝8時に待ち合わせて、16時に終わったら反省会。終わったら飲み行くぞーという感じで。あっという間に1週間終わってしまうし、限られた勤務時間では終えられません。スタッフには強要はできませんが、幸いみんな残ってやってくれる人ばかりでした。岡野さんなどははかなりの時間をボランタリーに関わってくださっていましたね。

石井さん
株式会社イータウンとして港南台タウンカフェを運営するときに、事業として行なっているタウンカフェ関係の収支を共有することはできますか。

斉藤さん
(グラフを示しながら)収入の要は、小箱ショップの利用料です。カフェと謳っておきながら、実はカフェ収益は全体の15%程でしかありません。そもそも、カフェではこのビジネスモデルは成り立たないのです。収益安定のためにどうするか考えていたときに、たまたま小箱ショップというアイデアが浮かびました。小箱ショップは、家賃収入のために後付けでつけた事業でしたが、実はとんでもない宝の箱であったというのは嬉しい誤算でしたね。
収支はほぼトントンに見えますが、補助金や地域の方の寄付などにも頼っています。

石井さん
イータウンの事業自体に、タウンカフェが大きな力を持っているのですね。

斉藤さん
はい。通常の企業なら事務所があって応接室があって、来客時にコーヒー淹れてくれる人がいて…といった設備や人材が必要だと思いますが、僕らの場合はタウンカフェが使えるわけです。会社としての経費があまりかからないので、部門間での調整をしていくと、実際は赤字だったタウンカフェの収益もトントンになってしまうのです(笑)

石井さん
タウンカフェって、商店会と取り組んでいますよね。地域とのつながりの中でお互いに認め合ってやっていくのは素晴らしいと思うし、商店会のHPを作って回すように、もっと良くなる部分をうまく仕事にしているイメージがあって。地元の商店会との関わりが深まった経緯も教えてください。

斉藤さん
基本的に、地域の方々にデザイン関係で営業することはないです。タウンカフェを始めてすぐの頃は、怪しまれる時期もありました。数十年町内会でやってきたようなことを、ビジネスでやろうとしているなんて…と警戒されたのでしょう。
ただ、商店会については話が別で。元々、業者として商店会に頼まれた立場でしたからね。ホームページの更新費用などを商店会で集めても回らないだろうし、イータウンがやっていた上大岡の情報掲示板を、港南台でもやりましょうと企画書を持っていきました。それを気に入られたのか、まち全体のことを商店会で一緒にやりたいとなって。当時、港南台商店会長だった故・稲村昌美さんが「君の提案は面白いけど、一つだけ条件がある。商店会としてやってしまうと、地域の人はなかなか協力してくれない。君のような訳のわからないやつがやった方が、うまくいくのではないか。だから、君の会社をこっちに移して一緒にやらないか」と言ってくださいました。イータウンとしても、ちょうど事業所を自宅から事務所に移したいなと思っていたタイミングだったので、嬉しいお話でした。現在も、港南台タウンカフェは商店会の事務局機能を兼ねて運営しています。
でも、最初の頃はかなり揉めることもありましたよ。ただ、稲村会長は「いろいろなことを言ってくる人はいるかもしれないけど、3年間は僕が守ってあげるから、好きなようにやりなさい」と言ってくださって。

石井さん
その時の自由な発想を許してくれる環境が、今のタウンカフェを作ったのですね。
あと一つだけ。ボランティアのマネジメントはわかってきたけど、やはりイベントをやるにはお金もかかりますよね。やりくりはどのようにしているのですか。

斉藤さん
キャンドルナイトについては、実は組織委員会という独立した組織が出来上がっています。ただ、財布を持てるほどの組織ではないため、タウンカフェがお財布を預かっている状態ですね。キャンドルナイトは独自で補助金や、企業からの賛同金をもらっています。
まちサロンのように持ち出しで運営しているものもありますよ。

 

参加者からの質問も止まることがなく、時間はあっという間に過ぎていきました。

斉藤さんの周りにいる人々が、それぞれのやりたかったことを叶えられる場所。

港南台タウンカフェは、そんな場所なのかもしれませんね。

今回、レポーターとして活動している筆者も、港南台タウンカフェの魅力に取り憑かれている一人です。

大学時代にノンアポで訪問して以来、約10年もタウンカフェとお付き合いしています。

いつも自分らしくいさせてくれる場所であり、得意を活かせる場所でもある。

そんなタウンカフェを、これからも応援していきたいなと改めて感じました。

■旅を終えて

今回はある意味「身内開催」となった、コミュニティカフェをめぐる旅。

多くの人が「コミュニティカフェの先駆的な成功事例」として接することの多い港南台タウンカフェでも、さまざまな困難があったことがわかりました。

コミュニティカフェを運営する上で重要なピースの一つに、人の力(職務能力、特性、人柄)があることもわかりましたね。

旅のホストでもある港南台タウンカフェを終えて、次の旅へ支度を始めましょう。

さあ、次はどんな出会いと発見があるのでしょうか。